竜介VS江波1

――新宿・高層ビル30階

「久しぶりだな、竜介」

竜介が30階に辿り着くと、そこには江波が立っていた。待ち構えていたといった風情だ。
フロアには、江波一人の気配だけしかしなかった。人海戦術はここで終わりか。一階の入り口から、無数のチンピラ達の暴力的な歓迎を潜り抜け、竜介はビルをここまで登ってきていた。辿り着くまでに倒したチンピラの数は、もう覚えていない。50を過ぎたあたりで数えるのをやめた。
見渡すが、そのフロアは、都心のビルの中とは思えなかった。
ジャングルの奥地のように、あちこちに植物が生い茂っている。ピィピィと、鳥の鳴き声が聞こえた。

「私は自然が好きでね」構える竜介を、まあまあと江波が制した。「私のフロアは特別に大自然にしてくれと、ボスにお願いしたんだよ。とてもいいところだ」
「彼女はどこだ」

竜介は前傾姿勢をとった。いつでも攻撃に踏み込めるように。

「まあそう急ぐなよ」江波はあくまで悠然としている。「君の恋人は最上階にいるよ。一番眺めがいい部屋だ。VIP待遇というやつだな。城の一番奥の牢屋で、自分を助けてくれる騎士の到着を待ち侘びているというわけだ」
「一番上……」
「もちろん、おまえを通しはしない。仕事だからな。うちの組のことを嗅ぎ回る存在は、即刻排除せよとの上のお達しだ。おまえにはここで斃れてもらう。いつぞやのようにな」
「あのときとは違うぜ」
「ほう?」

――ガシッ

次の瞬間、二人の距離関係は変わっていた。
言葉を宙に残し、一瞬で竜介の間合いに詰め寄った江波。
その繰り出された拳を、竜介はしっかりと右腕でガードしている。

「ほう!」

さらに江波が回し蹴りを繰り出す。竜介は上体を右に反らして避けた。
お返しにジャブを繰り出す。
江波の腕が防いだ。

「なるほど」

一瞬の攻防の後。納得顔で、江波は後ろに飛び退った。
竜介は再び隙なく構えをとる。

「スピードについていけるようになったじゃないか。五年前は、なんの反応もできなかったくせに」
「修行したんだ。血反吐はいてな。おまえを倒すために」
「突貫小僧が、立派になったもんだよ。精悍になった。身体の方も、さらに良くなったな。肉付きが違う」

真っ白いTシャツの胸の部分は汗で張り付き、逞しい胸板が伺える。皮のジャケットから伸びた二の腕は、格闘家として均整のとれた肉付きをしている。丈夫な皮のパンツが、下半身をしっかりガードしていた。隙がない。

「……五年前、逃がして正解だったよ。いたぶり甲斐があるってもんだ。以前のおまえの鳴き声も、そそられたが――」

江波はにやにや笑いながら、構えをとった。

「今度はもっといい声で鳴いてくれそうだ」
「ほざけ。もう以前のおれじゃない。あれから、死ぬ気で修行してきたんだ。おまえなんかに――」

――ドスッ

衝撃。
竜介は目を見開いた。かくりと首を折り、下を見る。

……鳩尾に、江波の拳がめりこんでいる。

「おや、入ってしまったな」

江波が大袈裟に眉を吊り上げてみせた。腕を引く。
竜介はよろめき、たたらを踏んだ。一歩、後退した。

「どうした? 今のでまだ七割ほどだぞ。まさか、見えなかったのか?」

見えてはいた。だが身体の反応が間に合わなかったのだ。行動を運動神経に伝えきる前に、攻撃を叩き込まれていた。
江波が一歩、踏み込んできた。
合わせ、竜介はふっ、と身体を捻らせた。腰を軸に、右足を振り上げる。蹴撃。音が唸る。
絶妙のタイミング。
――空を切る。

「……なっ
「残念だったな」

後ろから声が聞こえた。

「あのときは、三割程度の力で戦ってたんだよ。教えといてやれば良かったな、可哀想に。俺を超えたと無邪気に思ってたんだろ?」

振り返る。その竜介の背中を沿うように、江波はさらに竜介の背後に回りこんでいた。追えない。――速すぎる!
がしっ。後方から伸びた手が、竜介の後頭部を鷲掴みにした。
そのまま顔面から身体を持っていかれる。振り回され、周囲の風景が旋回した。太い木の幹が視界を埋めた。そのまま――

激突。

鳥の囀りと水のせせらぎの流れるホールの中に、鈍い音が響いた。
音に驚き、鳥たちが何羽か茂みから飛び立っていく。ピイピイ、と鳴き声がフロアに響いた。

「どうした? 騎士さま。そんな格好して」

竜介は、顔面から木の幹に激突させられていた。
くちづけするように顔を木にめりこませたまま、青年の身体は動かない。逞しい身体は今、ひと回り以上小さい江波の手に、完全に抑えつけられている。

「おっと、悪い悪い。離すよ」

江波が掴んでいた後頭部を離した。
竜介の身体が、ずるずると木にもたれかかるように崩れ落ちた。足元で、リスが驚いて逃げていく。

「インパクトの瞬間、咄嗟に力を反らしたな。さすがだ。強くなったよ。顔面潰すつもりでやったんだぜ。……おい、どうした? もう終わりってことはねぇだろ?」

江波が竜介の脇に手を差し込み、身体を木からもぎ離す。丁寧に地面に座らせた。
竜介は鼻から血を出し、意識が遠くなっているのだろう、地面にだらりと座り込んだまま、焦点の合わない瞳で天を仰いでいる。
なぜだ――青年の瞳はそう言っていた。自分は強くなった。誰にも負けないくらい。絶対に勝てると思っていたのに何故――

「ひひ、可愛いねぇ」

力の抜けた青年の顔を、江波は覗き込む。気を失った青年の顔に、それでも伺える戸惑いや恐怖の欠片を楽しむように。
額と鼻から流れ伝った血……。
ぺろり。
江波は舌で、竜介の鼻から垂れた血を舐めとった。雄臭い血と汗の味を堪能するように舌を這わせる。
竜介は地面に座り込んだまま、なすがままだ。失神したまま、青年は敵の舌に顔を蹂躙された。
三度目の舌の愛撫に、ぴく、と瞬きをした。
意識が戻っていく。ゆっくりと目が焦点を結ぶ。

「まだまだやれそうだな竜介。そうこなくちゃな」
ポケットに手を突っ込み、江波は口元に笑みを浮かべた。

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